【NZ高校留学体験談】高校で経験した差別から思うこと

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日本の生活がとことん合わず絶望を覚えていた高校1年生。海外生活に「何か変わるに違いない」と憧れを感じていた渡航直前。自分の能力のなさに打ちひしがれたニュージーランドでの高校生活。不安と期待で胸を躍らせていたあの頃のことは、今でも昨日のことのように思い出せます。

なによりも、10代だった自分にとって衝撃的だったのは身をもって体験した人種差別でした。今回は、高校留学時代の差別体験から学んだことについてお話します!

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憧れと共にスタートした高校留学生活

新しい生活が始まるときには、どのような状況であっても期待と不安が入り混じっているもの。

私の場合は初めての海外留学ということもあって不安が大半でしたが、「たくさん友達を作って…」「勉強も頑張る!」心の底ではこれからの生活に大きな期待を寄せていました

それが甘かったと知ったのは、ニュージーランドの高校入学直後。

英語力ゼロの日本人留学生登場

当時の私の英語力といえば、ゼロ本当にゼロ。

「How are you?」と聞かれたら「い、いえーす。ぐっど!」と答えられるレベルで、文章を組み立てる能力が必要とされるオープンクエスチョンなんてもってのほかでした。

今でもこの状態で単身留学するなんてクレイジーとしか言いようがありません。まさに若さがなせる業。

初日からスタートした現地の高校生たちとの授業はひどいもので、言葉も分からない人間はただただ置いていかれるばかり。先生もそれを分かっているのか私という人間に関わることはなく、一瞬で空気のような存在と化しました。


 

人見知り発動で友達出来ず

私が留学したのはまるで村のような小さな街だったのですが、そんな田舎でも日本人留学生はいます。

英語が達者とは言えない日本人留学生は助け合いながらなんとか生活していくのでしたが、私は元来の人見知りを発動しなかなか溶け込めずにいました。ニュージーランドに来てもぼっち生活。

これがまた辛かった。英語が話せないだけでなく、日本語に触れる機会すら失ってしまったのです。さらにはホストファミリーも家にあまりいない人たちだったので、「あ、あれ、私今日言葉発したっけ…?」みたいな日まで。

現地の人は日本人に興味がないの?

ニュージーランドはもともと移民が多く暮らす国。つまり、外国人を見慣れているわけです。「どこから来たの?」と聞かれて「日本だよ」と答えても、「そうなんだ! 僕の弟の奥さんも日本人でさ!」なんていうこともしょっちゅうです。

それは言い換えると、日本人というだけで興味は引けないということ。

ニュージーランドの人は大抵の場合、友達になりたい人はなるしなりたくない人はならないというスタンスで、バックグラウンドではなく「その人」で判断します。

だから高校でもじっと座って待っているだけでは誰も近寄ってきません。これが本当に大変だった。英語もできない状態で自分から行かなくてはならないというのは、かなりの勇気が必要だったのです。

移民が多いのに人種差別はあるのか

最初に答えを言ってしまうと、あります

これは恐らくニュージーランドだけの話ではなく、世界中どの国を訪れても、必ずどこかにはあるでしょう。もちろん日本も例外ではありません。

一例ですが、これが私の受けた差別。

暴言を吐かれる

結構日常的にあったのは、見ず知らずの人や同じ学校の人(ただし知らない人)から暴言を吐かれるということ。「F〇ck you!」と言われるのは慣れたもので、通りすがりの車から「Go back to your country!(国へ帰れ!)」と叫ばれたこともあります。

「日本人なのに…」の一言

差別らしい差別だけが差別というわけではありません。一見誉め言葉に思えても、よくよく考えてみると首をひねってしまうような表現があったりもします。

例えば、留学生活も長くなってくれば相応に英語力が身に付いてくるものですが、最後の方になるとよく言われていたのが「日本人なのに英語できるなんてすごいね!」ということ。

確かにどうやら世界的に英語が苦手というイメージが定着しているらしい日本ですが、本人の私からしたら「それ、言う必要ある?」でした。

リンゴや石を投げられる

留学中の出来事を人に話していると一番驚かれることですが、リンゴを投げられたこともあります。ニュージーランドのリンゴは日本と比べてサイズが小さいとはいえ、痛かった…。

ちなみに石は額に直撃。近くにいた韓国人留学生がそれを目撃し、「え、大丈夫!?」と驚きつつもかなり心配してくれた記憶があります。血が出なかったのは不幸中の幸い(?)。

どちらも学校での出来事です。

先生に厳しくされる

教師である前に一人の人間と思えばなんとなく理解できるものの、大人ですら中には留学生に冷たく当たる人もいます。

私の場合、最初に取った理科の授業でそれは起こりました。

もともと文系だった私は日本語ですら苦手な理科の授業を英語で受けることになり、ぽつりと窓際に座っていました。しかし案の定、ちんぷんかんぷん。とはいえ卒業を目的とした正規留学ですから、テストに合格しなければ意味はありません。

仕方ないので授業が終わった後に先生に「ここが分からなかったので、教えてください」とつたない英語で伝えに行くと、少し嫌そうに顔を歪めた先生は「どうせ説明してもお前には分からないだろう。英語も分からないくせに」と言い、立ち去って行ったのです。

今のは分かった! 分かったぞ! 英語力が不十分な状態でも、悪口はなんとなく分かるものです。

ちなみにこの先生にはひょんなことで認められることになるのですが、それはまたの機会に。

差別体験から学んだ3つのこと

もちろん人種差別というのは良いことではありませんが、大なり小なり、日常的に遭遇してしまいます。海外であれば、自分がその対象となる可能性もあるのです。自分自身が体験した差別において、3つのことを感じました。

優しい人たちがたくさんいる

無意識に、あるいは意識的に差別する人たちと同じぐらい、もしくはそれ以上に優しい人たちであふれているこの世界。

現に、当時から良くしてくれている人たちとは今でもつながりがあって、何かあるたびに連絡を取り合ったりしています。

自分が外国人であることで嫌な思いをした分、素敵な人たちがそばにいてくれる幸せに気付くことができたように思います。世の中にもっと優しさと思いやりが広がっていきますように!

重要なのは諦めないこと

例えば嫌な言葉を投げ掛けられたとき。そして痛い思いをさせられたとき。私たちは人間ですから、どうしても「あんな奴もう知らない! 関わりたくない!」となりがちです。

でも同じ空間で生活しなければならないような状況だった場合、それだけでは解決されないこともたくさんあるでしょう。

そんなときは怖い存在に自らグッと歩み寄ってみるのも一つの手。実際に、私は先述した理科の先生やリンゴを投げてきた人とは最終的に仲良くなっています。

日本人が嫌いという人と出会っても、「あなたは違うのね!」と思ってもらえれば最高!

先入観は必要ない

人はどうしても偏見や先入観を持ってしまいがち

これは自分の生まれ育った文化や環境、経験の中で自然と培われていくものなのである程度は仕方ないと思うのですが、いろいろな人と関わっていくとそういった固定観念のようなものがいかに無駄であるかを学びます。

男性も女性も、日本人もニュージーランド人も、大人も子どももみんな人。そう考えると、なんだか少しだけゆとりが持てるような気がするのです。

まとめ:人と人とのつながりは大切に!

人種や言語、性別関係なく、世の中にはたくさん嫌な人がいます。でもそれと同じぐらい、もしくはそれ以上に良い人はいるはず。

少し関わっただけで「この人ってこんな人なんだ」と判断するのは危険ですし、なによりとてももったいないことです。

誰かにとっての良い人は自分にとっての嫌な人かもしれないし、誰かにとっての嫌な人でも自分にとっては良い人かもしれない。人と人とのつながりというのは、そうした単純で複雑な関係の中から出来上がっていくのだと思います。

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